言いてえし思いたい。
ふとした瞬間甘いものが食べたい、コーヒーが飲みたいと思うわけ。少し歩けばコンビニがある...?いや、横やろ。もっと言うなら下やろと思うわけ。
すごくない?たぶんもう徒歩何分とかの表示とか考えることすらないわけ。擦られ尽くした構文で言うと、「会社で怒られてもうちの隣コンビニやしな」みたいな感じ。
できればローソンかファミマがいいな。セブンイレブンはオタクにキツく当たるイメージがあるので。でもセブンイレブンには水グミの桃味が置いてました。
人間の目はすごくいいかげんで大きい文字にしか目がいかない場合がある。小さく書いているのもまた問題ではあるのだけれど。
グミ売り場で悩むジジイになってたんですけど、コーラアップとかタフグミとかもう分かりきってるものを買う気にはならなかったのだ。
水グミのパッケージをよく見たら巨峰味と小さく書いてあり「おめ水じゃねえじゃねえかよ」と思い買った。水グミと大きく書いてあるから水の味なんじゃないかと思っていた。実際の味はスッキリしたぶどう味だった。とても美味しい。おすすめです。
住んでいるアパートの駐車場に適当に駐車しているやつがいたせいで車を出すことができずセブンイレブンでパンを買う予定と漫画の画集を買いに行く予定をを潰されてしまった。仕方がないので歩いて近所のスーパーに行くことにする。惣菜が美味しいのが救いだ。
スーパーに着くと、元気な声が聞こえて本能的に「うわ、嫌だな」と思う。スーパーの入口で、近所のバレーボール少年団が全国大会に行くというので募金を募っていたのだ。スーパーの入口は2つあって、最初に見た1つ目の入口を避けようと思ったら2つ目の入口にも別働隊が配置されており少年団からの脅威を避けることはできなくなってしまった。
実はセブンイレブンが道路を挟んだ対岸にあるのだがガキの、いや、少年たちの視線を集めながら信号のないところを渡る大人の図はあまりにも情けないなと感じ今日はセブンイレブンを2回諦めた。
絶対無視をするぞ!!と意を決しスーパーに入ることにした。入口に近づけばとんでもない声量で叫びやがる。僕も過去にサッカー少年団に通っていたので分かるが奴らの声はほんとにデカい。生物兵器かよと顔をしかめてスーパーに入った。今日は魚が食べたかったので鯖の唐揚げとお刺身を買った。
さて、入ったということは出なくてはいけないのだ。無視というか、ネガティブなアクションというのは思いの外体力を持っていかれる。僕とて悪魔ではないわけでそういう行為にはいくらかの抵抗がある。でも、でもである。僕は彼らになんの思い入れもないしなんならバレーボールなぞやったこともないわけでなぜ募金なぞしてやらねばならんのだ。本当に意味がわからない。よしんば入れてやるにしても10円だかをガキに恵む大人という図はあまりにも情けなく、せいぜい500円からがスタートだろうと思う。というか、全国大会に行けるようなチームなんだからある程度お金を持っているものではないのか?保護者だって自分のガキの旅費ぐらい工面できないものなのか?納得いかなすぎる。とか考えながらスーパーを出たら大砲ぐらいの威力で叫びやがる。僕は子どもという存在が嫌いではない。僕もいつかはそうだったし誰かしらに大きな迷惑をかけながら生きてきている。
ここが僕の弱点だった。
一瞬生じた心の隙間にガキの声が入り込む。僕の手はもうケツのポケットに入った財布に伸びていた。ボタンの弱った財布の小銭入れを開け500円を取り出して、彼らの抱えたボロボロの段ボール箱に入れてやった。せめてその箱はどうにかしろよ。とか思いながら彼らの顔も見ずに立ち去った。「頑張ります!」と大声で発しながらガッツポーズしているのを視界の端に捉えたけれどこれにリアクションだけはすまいと最後に抵抗する。
僕はだいぶみみっちい人間なので500円の使い道を考えながら帰った。缶コーヒーが4本買えるぐらいしか思いつかなかったけど。たぶん僕は子供を使った詐欺とかがあったら引っかかってしまいそうだな。弱い存在に弱いところがある。
おい、ガキども。見てるか。俺の500円がお前らを全国大会まで運んでやるのだ。必ず勝って帰ってこい。
僕は橋が好きです。構造が~とか見た目がとかではなく、橋を渡るという行為が好きです。橋の上にいる瞬間は擬似的にとはいえ宙に浮いている感じがします。初めて橋を渡った幼児のような感想ですが、この感覚がいまだに抜けることがありません。つまり今も橋を渡るとワクワクします。
今日のことですけどこのワクワクがなにかに似ているなと感じ、考えてみたら飛行機に乗っているときのワクワクと一緒だなと思いました。宙に浮いていて下を見れば高すぎてビビるしワクワクしますよね。ワクワクが段々クワガタに見えてきました。?。
小学生?
イラストという=アンサーな表現を生まれたときから携えてしまったから、誰かに問うたり問われたりすることに慣れていなかった。慣れていないではない、そうされることすら知らないのだ。答えだけを乗り継いで最後に手にした切符はどういうわけか大きな壁にたどり着く。それは答えなのかもしれないし、問なのかもしれない。でもそのどちらであるかも分からなくなっているから、君の背すら見えないだろう。
少しだけ影響されてしまったが、言葉を知っているから理解できるのか。思想が同じなら理解できるのか。僕には分からなかった。でも人伝に聞いているから読まずにはいられなかった。これは今持てる最大限の好意である。